|
毛利 元鎮(もうり もとしげ)は、毛利氏の人物。 #室町時代から戦国時代にかけての武将。毛利豊元の子。豊元の跡を継いだ兄・毛利弘元より偏諱(「元」の1字)を賜う。詳細不明。 #安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。吉敷毛利家の祖。以下本項にて詳述する。 ---- == 毛利元鎮 (吉敷毛利家) == 毛利 元鎮(もうり もとしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏の一門家老吉敷毛利家の祖。小早川秀包(のち毛利に改姓)の嫡男。 父・毛利秀包が関ヶ原の戦いで敗れて改易された後、毛利輝元に召し出され7,000石を与えられ、長州藩内で長門阿川・滝部・殿居を領した。寛永2年(1625年)、吉敷に領地替えとなり、1万1,000石余に加増される。以後一族は吉敷毛利と称し、一門家老吉敷毛利家となった。のちに2万石への加増が内示されたが、断ったという。同年嫡男元包に家督を譲って隠居する。寛文12年(1672年)、豊田(現在の山口県下関市豊田町)で没した。 幼少時の近松門左衛門を保護・養育したとも伝わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利元鎮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|